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担当という言葉について

2015年になって以来、担降りされた方をよく見かける。それは長い間認めていなかった担降りだったり、天啓のように降りていたり、形はさまざまだ。今回はジャニオタをやっていく上では避けられない単語である「担当」という言葉について改めて自分なりに考えてみようと思う。「担当」という言葉は、色んな感情を孕んだとても重い言葉だと私はヒシヒシと感じている。

 

ジャニオタにとっての担当はいくつかのタイプに分かれている。

  1. 担当をひとりと決めて応援するタイプ
  2. 担当が複数名いて全員応援するタイプ
  3. 担当がおらず事務所担でDDタイプ

代表的なのはこの3タイプ。担当がいてDDというのもいるが、最終的に担当がいる現場を優先するのでそれは1と同じタイプとしている。私の周りには全タイプいるが、どのタイプも楽しそうにしているし、その概念を押し付けてくるような友人はいないのであまり気にしない。私はひどいDDの自覚はあるが今のところ担当はひとりと決めている。

 

さて、昨年の夏「担降り」且つ「担増やし」の機会があったけれど、結局私はどちらも選ばなかった。

担当になるかな、と思っていた彼のことは自分が思っていた以上に好きで驚くほどだった。正直担当よりも彼のダンスの方が好きだ。けれど自分の中で「彼を担当にできるのか」と考えてみた結果、私の中に疑問が生まれた。彼を担当にしている自分のことを想像してみて、しっくりこなかった。ほとんど担当相手と同じことをしているのに、彼を担当にした私自身をどうしてもイメージができなかったのだ。

担降りだの担増やしだの言っているけれど、担当に興味がなくなったのかと言われればそんなことはない。担当が私にとってのアイドルとして降りて以来ずっと一番であることには変わりはない。だからこそ彼を担当に置いた。仕事に対していつも真面目で一生懸命で、そういうところが好きだと彼の言葉を目にするたびに思う。けれどその気持ちに相反して、私のメンタルが弱すぎるので担降りすることばかり考えてしまうのだ。でも、私は担降りをしなかった。どんな言葉を並べてもそれが総てで。「担当」ってそういうものだと、肌で感じている。

 

とはいえ、彼が最後の担当なのかと言われれば、そうじゃない気もしている。既に二年弱の短いジャニオタ生活の中で、このひとが最後の担当だ!と思っていたアイドルから担降りをしているからだ。ジャニオタに限らず何かのオタクの絶対や最後ほどあてにならないものはないとよくわかっているので、自分の性格上きっとまた担降りする日は来るのではないかと漠然と思うことにしている。

それは今日かもしれないし、何年も先かもしれないし、一生ないかもしれない。でも、私が彼に降りたときのように雷で打たれたような衝撃を受けるようなことがあれば。それは私にとっての新しい担当なのだろう。

 

個人的に「担当」という言葉は別として「担降り」という行為はとても好きだな、と改めて思う。担降りという言葉も捉え方にとってはネガティブに取られがちだが、それを終えて新たな担当のことを話すジャニオタはとても楽しそうで晴れ晴れとしている。だからこそ、私は友人に今日も「おめでとう!」という言葉を贈るのだ。